MENU

03

戸隠そばを旅する

Cultural column into Nagano

そばなんて、どこで食べてもさほど変わらないと思っていました……ここへ来るまでは。
ここは、長野市の最北部、戸隠。戸隠といえば神社を連想する人も多いはず。戸隠山の信仰とともに、1200年あまりの歴史が紡がれてきた聖地です。そして、参拝の後の食事として、江戸時代以来親しまれているのが“戸隠そば”。
冬は雪に覆われる山里で、どうやってそば打ちの高い技術が守り継がれ、“日本三大そば”と呼ばれるそば処にまで発展したのか…今回は、“継ぐ”ということに焦点を当てて、近年世代交代をした3店で店主の意気込みを伺いました。

古くて新しいそば屋「戸隠堂」

国の重要伝統建造物群保存地区の指定を受けた中社地区に建つ戸隠堂

最初に訪れたのは、その昔、修行僧や全国からの戸隠講の人々が往来していた戸隠の中社地区にある「戸隠堂」。三代目の村上龍太さん(45歳)にお話を伺いました。

もともと戸隠の伝統工芸・根曲がり竹細工を作る職人の家だったという村上家。昭和39年(1964)、長野市内と戸隠高原を結ぶ「戸隠バードライン」が開通し、龍太さんのお祖母さんが観光客にそばや山菜などを出す簡易食堂として「戸隠食堂」を開店。以来、家族経営でのれんを守り続け、創業50年を迎えた平成25年(2013)に店名を「戸隠堂」に改めました。

龍太さんの父・武夫さんは、現在は主に竹細工を担当。人気の根曲がり竹ドリッパーも制作・販売している

50年続いたお店の名前を変えるのは、相当勇気がいる決断だったのでは?
「そうでもないですよ(笑)。“食堂”だと他の料理も出していると勘違いされることもあって…うちはそば屋なので、ずっと変えたいなと思っていました。自分が決めてやることで、責任が生まれる。自分にプレッシャーを与えることで、かえって背中を押してもらえるかなと」
先代に反対されつつも、押し切ったという龍太さん。そもそもどうしてそば職人になったのでしょうか?

温故知新のそばづくり

現在、戸隠そば祭り実行委員の副委員長を務める龍太さんですが、戸隠では異色の脱サラ組。そば打ちを始めたのは、30歳を過ぎてからだと言います。

「母が脳梗塞で倒れたことが大きかったですね。親父からは何も言われませんでしたけど、そろそろかなと…」

先輩に聞きながら、基本を身につける一方で、休みの度に図書館に通い、そばの専門書などを読み漁ったと振り返る龍太さん。大事な商売道具という2冊のノートを見せてくれました。

戸隠堂の三代目・村上龍太さん

一冊はそば打ちについての知識やメモが書かれた“そばノート”、もう一冊は、戸隠の歴史について書かれた“歴史ノート”です。そばノートはわかりますが、歴史ノートとは…?

「“温故知新”という言葉がありますけど、昔のことを知ることが、これからにつながるんですよね。戸隠山にいろんな人たちが行き交って、戦国時代には武田と上杉の対立に戸隠が巻き込まれて疎開したり、その時々の最善を尽くして、地域が守られてきた…。今も同じように一人一人が最善を尽くしていて、その一員になっているということがすごいことだなと思います」

探究心が生む、新しいおいしさ。

一方、“そばノート”に綴ってきた内容も、少しずつ実践に落とし込み、そばの美味しさを追求してきた龍太さん。お店で使うそば粉を100パーセント戸隠産にしたことも、大きな決断でした。

「やっぱり、自分たちが普段見ている畑で採れたものをお客さんに出せることは、うれしいことです」

戸隠では全国でも珍しく、夏と秋の年に2回、そばを収穫することができます。夏そばは8月中旬ごろから、秋そばは10月下旬ごろから食べられますが、戸隠堂では、新そばの風味をいつでも楽しめるよう、4月から夏そばが始まるまでの間は、製粉後、真空で冷凍保存されたそば粉を使用するなど、その鮮度管理にこだわっています。

歴史に学び、試行錯誤しながらも、まだまだ目指すところへ到達できていないという龍太さん。

「去年よりも今年、今年よりも来年、もっといいそばが提供できるように、努力していきたいです」

シャイな笑顔の奥底に、揺るぎない職人魂が宿っていました。

戸隠の特別を味わう「手打ちそば 岳」

次に訪れたのは、戸隠キャンプ場内にある「手打ちそば 岳」。
もともと、「江戸屋」という屋号で昭和25年(1955)に開業したお店を三代目の曽根原公夫さんが建て直し、現在は四代目の曽根原功さん(35歳)が奥さんのひろみさんとともに店を切り盛りしています。

手打ちそば岳の曽根原功さん

「そば屋なんですけど、ただそばだけではなく、気持ちよく、自然を感じてもらえたらと思いますね。山があって、鳥の声や、虫や風の音が聞こえて。山菜、竹細工…全部で戸隠を感じてもらいたい」

そう話す功さん自身、ただのそば職人ではありません。2011年からフリースタイルスキーでワールドカップに連続出場した元日本代表のスキーヤーなのです。現在も、地元のジュニアチームのコーチとして後進の育成にあたり、戸隠スキー場のパーク運営やフリースタイルスキーの大会運営などを手がけています。そんな功さんが、家業を継いだきっかけは?

ニュージーランドにてワールドカップ参戦のトレーニング時の様子(提供写真)

海外生活をしたからこそ、見えてきたこと。

寡黙で職人気質の父と、お土産屋を営む母の背中を見ながら育ち、一時はスキーに没頭しながらも、いずれは家業を継ぐつもりだったという功さん。
「両親が商売をやっているので、昔から食卓の場で売り上げの話とかが普通に出ていて、どうしたらもっとお客さんが来るのかとか、子供の頃から考えていました」

その後、ソチオリンピックを控えた世界選手権の練習で、全治3ヶ月の怪我を負い、選手生活にピリオドを打った功さん。これまで支えてくれた両親や地元の人たちに恩返しをしたいと、戸隠での暮らしを再開。功さんは、一度外に出たことで、戸隠という場所の特別さを実感したと言います。

竹細工のランプシェードは公夫さん作。壁には功さん直筆の書や絵が飾られている

「原点に戸隠山の存在があり、信仰が始まって、神社ができて、そば屋が始まって、そこにお客さんが来た中で商売させてもらっているということを感謝しています」

戸隠の誇り

岳に入ってからは、お客さまにゆっくりと過ごしてほしい、と新たな試みを始めた功さん。

例えば、山菜。それまでは公夫さんが採ってきた山菜やきのこが当たり前のように天ぷらやお茶請けとして出されていましたが、功さんは“前菜”としてメニューに加えました。

「山から採って来たものを出すというのは特別なことだと思うので、雰囲気とか、使う皿とかも全部変えていって、最初は親父と相当ぶつかりましたけどね」

また、店で扱うそば粉をすべて戸隠産に変えたり、そばに合う日本酒を揃えるなど、特別感を出すための改善を重ねました。

季節の山菜プレート

子供たちには、スキーの楽しさと同時に、自然に感謝する気持ちを育てたいと話す功さん。
「今あるものは絶対に残して引き継ぎ、戸隠が特別な場所であるということを伝えたいと思っています」
前菜プレートも、そばも、その香り高いおいしさとともに、功さんの地域への感謝と次世代への思いやりの心が伝わってくるようでした。

戸隠の未来に種をまく「そばの実」

戸隠そばの魅力に迫る旅のしめくくりは、戸隠の名所・鏡池へ続く道の入り口にある「そばの実」へ。週末を中心に行列必至の人気店ですが、席に着いただけで、並んででもこのお店に入りたい理由がわかるような気がします。

窓から見える景色もご馳走

そばの実は、1987年開店。土産物屋を営んでいた徳武洋友さんがお客さんから「どこのそば屋がおいしいか」と尋ねられた時に答えに困り、自信を持って勧められるお店を自ら作ろうと一念発起。以来、美しい景色と食事を楽しめるお店として、多くのお客を引きつけています。

心も身体も満ち足りるそばを。

現在お店を切り盛りするのは、長男の徳武祐介さん(41歳)。大阪の辻調理師学校で日本料理を学び、大阪の料亭で勤めたことがある祐介さんは、そばだけでなく、料理も楽しみながらゆっくりしてもらいたいと、季節の逸品料理にもこだわっています。

この日の逸品料理は、アスパラガスのそば衣揚げ、そばの実とワラビと長芋のジュレがけ、旬菜のお浸し

そばの実では、そばの品質にもこだわり、地元の契約農家から直接仕入れているほか、数年前からは、前人未到のそばの有機栽培に取り組んでいるそう。

「将来世代のために今から種をまかないと始まらないと思ってやっています。まだ安定した収量確保は難しくて、自分たちの世代ではできないかもしれないけど、息子や孫の世代の時に、戸隠がそばの品質も含めて、最良のものを出せる地域になってたらすごいなと思って。戸隠で“安全な作物づくり”という想いをもって取り組んでいる農家さんが増えればいいなと思います」

将来世代の笑顔のために。

祐介さんは同時に、地域の人々の心にも種をまくことを始めました。百年後の未来のために地域を守ろうと有志を募り、“戸隠百年構想”という会を設立。人口減少や空き家問題など地域が抱える問題に少しずつ取り組んでいるといいます。

戸隠百年構想の集まりで代表として挨拶する徳武祐介さん

お店の営業だけでも忙しい中で、地域のために事を起こすエネルギーはどこから生まれているのでしょうか。

「一番は、戸隠という土地があって、自分たちが運営できているということに感謝すること。うちがいい仕事をすることによって戸隠の地域全体が良くなるように。“地域に貢献する店でありたい”という精神を親父の背中を見ながら感じてきました。」

父親の想いを大切に受け継ぎ、次世代へいい状態でバトンを渡すべく日々尽力する祐介さん。その姿勢から「戸隠そば」が単なる郷土の名物ではなく、戸隠の人たちの地域への想いと、努力の結晶であることを教わりました。


厳しい自然環境の中で、長い歴史と文化が紡がれてきた戸隠。そこには、歴史を重んじ、そば打ちの技術のみならず、先祖からの想いを継ぎ、さらに磨きをかけながら、未来へ繋ぐために懸命に努力する、尊い職人たちの姿がありました。それぞれのお店で、取材の後でいただいた戸隠そばは、それまで以上にありがたく、じんわりと心に沁みました。

戸隠の、否、日本の未来に、この味が残されていきますように。

and craft ことのは

WRITER

and craft ことのは
東京都日野市生まれ。出版社、編集プロダクション勤務などを経て、編集者・ライターに。好きなことは、散歩、キャッチボール、ハーブティー、読書と映画。2011年に長野へ移住。いつか、自分のハーブ園を作りたい。