食事、買い物、飲み会、いろいろなことを自宅で楽しむ時間が増えたこの機会に、ローカルのよいものを取り寄せ、じっくりと味わってみませんか?
ということで、今回は自宅で楽しみたい長野の地酒を、せっかくなら信州名産の“そばと相性のよいお酒”という切り口でご紹介。
時代の潮流をよみ、変革と挑戦を続ける2軒の老舗酒蔵を取材しました。
そば好きが醸したお酒
大信州 超辛口純米吟醸
一瞬にして広がる華やかな香りと、きりっとしているのにやさしいのど越し。気がつけばもう何杯目?という飲みやすで、多くの人に愛されているお酒が大信州超辛口純米吟醸です。
農家の顔が見える酒米で作りたい。
「酒飲みはルーズだから、注文したそばが来てから食べるまでに乾いてしまうんですけど、そこへお猪口でぴっと酒をかけて湿らせて、わさびをつけて食べるのが最高にうまいんですよ」
自身も大のそば好きであるという大信州酒造の専務取締製造部長・田中勝巳さんは、笑いました。
「ただ辛いだけではそばには合わないんです。辛いけど柔らかく、舌先に入れた時にふっと旨味を感じさせるように、長野県産のひとごこちの特性を引き出して造っています」
ひとごこちとは、長野県が開発した酒造好適米。この酒米を使うと、ふくよかで澄んだ綺麗な酒ができると田中さんは言います。
「10年ほど前までは、他の酒蔵同様、鑑評会などに出品する一番いい酒は山田錦を使っていました。けれど、イギリスで行われた“インターナショナルワインチャレンジ”で、山田錦の大吟醸が上位入賞し、社長が授賞式でスピーチをした際に、”なんで長野の酒米を使わないんですか?”と指摘され、今まで信じてやってきたことが、一気に覆されたんです。」
山田錦は兵庫県の酒造好適米。海外の人にとっては、気候風土が違う所で生まれた酒米を長野で造ることが不自然に感じられたのでしょう。
その後、”長野県の環境を生かして、長野県産の品種で長野県の酒を造ろう”と、社長が舵を切り、松本・安曇野を中心とした契約農家との米作りが始まりました。
手を抜かない、手仕事の酒造り
大信州酒造の酒造りのもう一つの特徴は、全量が無濾過で1本1本瓶詰め保存されていることです。鑑評会出品用の大吟醸だけでなく、全てのお酒を瓶詰め保存する酒蔵は、国内でも稀有。どうしてそこまで手をかけるのでしょうか?
「酒蔵見学に来た方に、搾りたての酒を飲んでもらうと、誰もがおいしいと感動してくれるんです。お客様が一番うまいと言ってくれる、喜んでくれる酒を造りたい、そのためには全ての酒を全力で、出品大吟醸と同じレベルで造ろう、理由はただそれだけです。」
洗米から上槽(袋吊り)まで、酒造りの工程にはあえて機械を入れないのが、大信州流。
「機械を入れるならどの蔵でもできます。我々は他の蔵が真似できないことをしようと。実際、酒を造ってくれているのは麹だとか、酵母だとか、自然なんです。造らさせてもらっている我々の仕事は、その横で見守り、いかに手をかけてあげられるかを考えることです」と語る田中さん。その考え方の根底にあるのは、2008年まで75年に渡って杜氏を勤めた小谷杜氏・下原多津栄大杜氏の教えだと言います。
和をもって尊しと為す
「35歳ぐらいで蔵に入った時、大杜氏は“本があるから読んでおけや”という感じで、酒造りについてまともに教わったことはないです。ただ、とても信心深い人で、道具や米、水、人、そして見えないものにすら愛情や感謝の気持ちを持つこと、全てにおいて“和”が大事だという酒造りの姿勢を、大杜氏から学びました」
蔵に入った日から、大杜氏に追い付き追い抜こうと、さまざまな文献を読み、社の垣根を越えて先達の話を聞き、必死の努力を重ねて来た田中さん。22年の時を経て、現在は製造部長として醸造の一切を引き継ぎ、さまざまな改革に取り組みながら、理想の酒造りを追求しています。
「大杜氏の頃よりも今の方が手は入れているし、造っているお酒は、もしかしたら今の方がいいとは思うんです。けれども、一つのお酒ではなく、全体を見たときに、まだまだ全然追いつけていないと思いますね」
米作りから酒の瓶詰めに至るまで、一本一本に手をかけ、手を尽くす。蔵人たちのひたむきな努力と愛情、そして“和”によって醸された大信州の酒。もし、そばが乾いてしまっても大丈夫。ぜひこのお酒を“ぴっと”かけて召し上がってみてください。
老舗酒蔵の挑戦
信州亀齢 山恵錦純米吟醸
ピチピチとした微発泡の刺激の後には、青りんごのような甘みとほのかな酸味、そして華やかな香りが広がります。キレがよく、それでいて余韻もしっかり。「信州亀齢 山恵錦(さんけいにしき)純米吟醸」は、日本酒というよりも、スパークリングワインの印象に近いお酒です。
信州上田を盛り上げるお酒を
「信州亀齢は、どんなお料理にも合わせやすい食中酒です。山恵錦の純米吟醸はわりと味がしっかりしているで、そばなど淡白なお料理にとても合う思います。」
長野県上田市にある創業350年の蔵元・岡崎酒造を訪れると、12代杜氏・岡崎美都里さんは教えてくれました。“山恵錦”という酒米は他所ではあまり聞かない名前ですが…
「山恵錦は2018年に長野県で生まれた新品種の酒米です。この酒米を上田の契約農家さんに育ててもらい、市内の酒蔵で“メイドイン・上田”のお酒を造って上田の魅力をアピールしようと生まれたお酒なんです」
岡崎酒造をはじめ、上田市内にある5蔵の若手杜氏が集まり、勉強会や情報交換を重ねながら取り組んだという新品種・山恵錦での酒造り“山恵錦プロジェクト”。酒米のデータがない初年度の仕込みは、試行錯誤の連続だったと言います。
しかし、美都里さんが手がけた純米吟醸は、2019年の世界的なワイン品評会「インターナショナルワインチャレンジ」の日本酒部門純米吟醸酒の部で見事金賞を受賞。
「初年度で高評価をいただいたので、2年目の今年は身が引き締まる思いでしたが、お米の出来もよく、去年にも増して良い仕上がりになったと思います。手前味噌ですが(笑)」
350年の酒造りの文化を次世代に
山恵錦の純米吟醸に限らず、岡崎酒造で使用する酒米はすべて信州産。その半分以上は地元上田の契約農家から仕入れているといいます。
「以前は組合で仕入れたお米を使っていて、長野県産といえどもどこのお米かはわからなかったのですが、今は“上田のお米と水を使って作ったお酒です”と、お客様に言えることがうれしいですね。」
さらに、4年前からは棚田百選にも選ばれている“稲倉の棚田”を保全するため、「酒米オーナー制度」を実施。毎年、田植えと稲刈りには自ら参加し、棚田の保全をアピールしています。
「伝統を守るだけでなく、地元上田をもっと盛り上げていきたいです。」と語る美都里さん。そのパワーの源はどこにあるのでしょうか?
杜氏として、母として
そもそも、岡崎家の三女である美都里さんは、大学卒業後、大手酒造メーカーに就職。26歳の時に酒蔵の経営を手伝おうと戻って来たタイミングで、高齢になった先代杜氏の後継問題が発生。急遽美都里さんが杜氏を後継することになりました。
微生物を相手にする酒造りは、10月に仕込みをスタートすると翌年の5月まで、1日も休むことなく走り続けなければなりません。強い酵母を育てるためには、知識と経験はもちろん、体力と冬場の水仕事にもめげない精神力が必要です。先代杜氏の下で4年ほど修行を積んだのち、岡崎家初の杜氏となった美都里さんはさらに、3人のお子さんの出産・育児を両立させながら、杜氏の道を邁進してきました。
「妊娠・出産・育児との両立は本当に大変でしたが、家族の支えで乗り越えてきました。子供に一人一人個性があるように、酒もタンク1本1本に個性があります。その個性を伸ばしながら仕上げていくという意味では、酒造りも子育ても共通しているところがあるかもしれません」
そんな美都里さんの活躍を見守り、陰で支え続けて来たのは、ご主人で現社長の謙一さん。
「主人は、6年ほど前に会社を辞めて、酒蔵に入ってくれたんですけど、今まで一人で悩んできたことも、相談ができるようになったし、新しい情報やノウハウを持ってきてくれるので、どんどん改革やいろいろな動きができるようになって、ありがたいです」
今回ご紹介した“信州亀齢 山恵錦純米吟醸”も、夫婦二人三脚で醸されたお酒。
夫婦の絆のように円熟した味わいが楽しめる一本を、ご自宅で味わってみてはいかがでしょう。
酒の肴として、あるいは締めとして、ざるそばのご用意もお忘れなく!
そばと相性のよい長野の地酒は、お楽しみいただけましたか?
造りは違えど、いづれの酒蔵でも、伝統に甘んじることなく、信州ならではの酒米を用いたおいしい酒造りを追求し、挑戦を続ける蔵人たちの姿に心打たれました。
新型コロナウィルスが収束し、他エリアへのローカルな旅を楽しめる日が来たなら、蔵元直営の酒屋を訪れてみてはいかがでしょう。
その際は、ぜひ信州のおそばと併せてお楽しみください。
タイトル撮影協力:手打ちそば 岳