旭川市から北に1時間ほど車で向かったところにある幌加内町は、道内有数のそば産地として知られ、毎年8月下旬~9月上旬に行われる「幌加内町新そば祭り」には町内外から大勢の人が訪れます。そんな幌加内町にそば屋を始めるために移住した人がいると聞き、せっかくならば新そばの季節にと、2020年の秋の終わりに足を運びました。
そばとの会話を大切に
国道275号線沿いにある幌加内町交流プラザの1階で賑わいを見せる「幌加内そば 雪月花」。施設にバスターミナルが併設されていることからバスを利用する町内の人をはじめ、北海道内を旅するライダーが立ち寄る憩いの場となっています。
同店を営むのは埼玉県出身の曽根和行さん。30代半ばに脱サラして飲食の道へ進み、45歳のときに幌加内町へ移住。念願だったそば屋をオープンして5年が経とうとしています。
「当店では毎朝、当日分のみを石臼で製粉して手打ちしています。“本物のそば”を知ってほしい、その思いだけでやっているようなもの。変わり者がやっているそば屋だと思ってください」と話します。
実際にそばをいただくと、上品なそばの香りがほのかに広がり、細めの麺は弾力がありながらも喉越しはなめらかでかろやか。自然な甘みも感じられ、そば通も唸る味というのは納得です。来店されるお客様にも「今まで食べていたそばは何だったのか」と驚く人がいるそうで、中には日ごとに変わるそばの味を楽しみたいと、夏季は毎週訪れるご夫婦もいるのだとか。
揚げたての天ぷらやミニかき揚げ丼もおいしい
「店としては、いつ来ても同じ味を提供するべきかもしれないけど、そばの種一つ一つが生き物だから毎度同じにはならないんです」と曽根さん。その日のうちに連続して打っても加水率や茹で上がりがまったく異なるそうで、天候や気温、湿度をシビアに見極めながら作っているといいます。
「毎回そばと会話をするんです、今の調子はどうだい?って。ここ数年でようやく、ちゃんと声が聞こえるようになりました。時にはケンカもしますよ」
そば栽培を経験し、未知の場所でそば職人に
元々そば好きだったこともあり、いつかは自分のそば屋を持ちたいと考えていた曽根さん。そばの歴史や産地を調べるうちに栽培にも興味を持ち、幌加内に移住する前は茨城県で約5年間、そば農家として栽培の仕事に従事していました。
「最初はちょっとやってみようくらいの気持ちだったのが、始めてみたら農業がとても面白くて。これは人に任せていられない、自分でやらなきゃと、レストランの支配人と兼業でやっていました」
時には遊びでそばを打ったりイベントでそば粉を販売しながら、ようやく良いものが育てられるようになったと感じた頃、テレビを見て知ったのが必修科目としてそばの授業を行う幌加内高校でした。
「面白い高校があるもんだなと思いましたが、正直それまで幌加内そばの存在を知りませんでした。でも調べてみるとそば畑の面積や収穫量が日本一というからビックリ。さらに好立地である交流プラザの1階が空き物件、しかもそこにはそば屋しか入ったことがないなんて聞いたら、挑戦する以外の選択肢はありませんでした」
一番近くで曽根さんの夢に寄り添ってきた奥様も「せっかく見つけた場所だから」と移住を快諾。まさか冬はマイナス30度超え、降雪量が1m以上の豪雪地帯とは思っていなかったそうで「2018年に3m24㎝の積雪を記録したときは苦労しました。大変な場所に来ちゃったなと思いましたよ」と笑います。
お店には曽根さんが打つそばのおいしさに魅了された人、新そばを求める人、他の店が空いておらずたまたまやってきた人など一年を通してさまざまな人が来店します。同店では定番の「ざるそば」と「もりそば」が各800円と他店に比べて手頃な価格ではなく、8月~10月の繁忙期は1人1食まで・大盛り不可と少々厳しいルールもあるため、来店客の中には疑問や不満を口にする人もいるといいます。けれど曽根さんは「好みが分かれるのは当たり前」とし、お客さんに直接質問された場合はその場で丁寧に答え、ネット上の口コミに対しても熱心に返信をしています。忙しい中でなぜそこまでするのかを尋ねたところ、返ってきたのは冒頭でも話していた『本物のそばを知ってほしい』という思いでした。
価格の違い、ざるそばともりそばの違いとは
国産のイメージが強いそばですが、自給率は20%前後とほとんどのそば粉が輸入されています。また機械製麺にて提供する店も多いため、幌加内産のそば粉のみを使用し製粉から手作業でおこなう同店とでは、どうしても価格に差が生じます。
「当店は機械製麺に比べて半分以下の生産スピードです。醤油やかつお節、昆布なども厳選しているので、そうした事情をご理解いただけたらうれしい。一口食べたら味の違いにも納得していただけると思います」
さらに、もみ海苔の有無が違いと思われがちな「ざるそば」と「もりそば」についても「本来はつけ汁の違いなんですよ」と教えてくれました。
「明治時代のざる汁はみりんが多く使われてコクがあり、高級だったのでもりそばよりも価格が高く設定されていました。もみ海苔はあくまで、配膳係がもりとざるを区別できるようにするためのもの。当店では薄口汁、濃口汁で区分して価格も同じ。海苔はそばの風味が損なわれるので乗せていません」
農家さんとのつながり
職人気質の曽根さんを支えるそば農家さんは一体どんな方なのか。今回お話を伺ったのは、仕入れ先の一つである福田農園の3代目・福田裕さん。幌加内町の政和地区で、味や香りに定評のあるキタワセ種を育てています。先代であるお父様の跡を継いで農家を始めたのは56歳のときだそうで、曽根さんとはお店のオープン時からの付き合いです。
「交流プラザに新しいそば屋ができると聞いて食べに行ったんです。元気なおかみさんがテキパキ動いていて印象が良く、何より、幌加内でそば屋をやろうとした心意気に惹かれました」
一方、曽根さんは福田さんが育てるキタワセ種の魅力について「高品質のそばを作るためにさまざまなチャレンジをしていて、毎回おいしく仕上がっているのがすごい。“例年通りは進歩がない”という向上心にも共感します」と信頼を寄せています。
福田農園では同じ土地に異なる作物を作る輪作ができないため、連作に対応できる土づくりとして堆肥の導入や排水管工事など工夫を凝らしています。気温や天候に左右されて毎年同じようには育たず、鹿による食害にも悩まされるといいますが「天候に恵まれて作付、刈り取りとタイミング良く収穫できたときには仕事のおもしろさ、やりがいを感じますね」と話します。
“本物のそば”を追求し、地道に発信することにも力を注ぐ曽根さん。そばの楽しみ方・食べ方は人それぞれとしながらも「自国の食、和の文化を知っているとよりおいしく感じるはず。そうしたことにも興味を持ってもらえたらいいですね」と一言。幌加内そばをきっかけに、そばの奥深い世界に足を踏み入れるのも面白いかもしれません。
そばを食べるためだけに遠出するなんて。正直なところ、取材するまではそう思っていました。でもそこでしか味わえないもの、それを作る人との出会いがあれば、とても贅沢な旅になるのだと実感しました。
冬は決して行きやすい場所ではありませんが、雪が溶け始める頃にでも、会いに行ってみてはいかがでしょうか。
参考資料
・そばの散歩道(日本麺類業団体連合会/全国麺類生活衛生同業組合連合会)
・北東製粉株式会社|そばの雑学
TEL 0165-26-9229
JR旭川駅から車で約1時間
営業時間 11時~15時
定休日 毎週火曜日
TEL 0165-35-2356