“素のままの美しさ、おいしさをそのまま使う”という意味が込められた「ソノマノ」は、長野県北部の長野市街と白馬との間、鬼無里(きなさ)と呼ばれる山間集落にあります。
例えば、パン。
信州には、かつて米の裏作として小麦が作られていたことから、おやきやうどんなどを食べる “粉もん文化” が根付いています。そんな背景もあり、長野県内には個性豊かなパン屋がたくさん。今回は、長野県産小麦と自家製酵母でパンを作るパン工房へ。長野市鬼無里と阿智村へ出かけてみましょう。
野生酵母パン・焼き菓子 ソノマノ
鬼無里の土と空気が育んだ酵母
2008年に東京から移住した竹内正和さんと俊子さんは、“住んでいる土地の空気で育まれる酵母で作りたい”と、自ら酵母を起こしてパンを焼く職人。
「東京にいたときは、どんぐりで酵母を起こしたこともあるんです。ここは昔、蚕をやっていたから桑の木がいっぱいあって、桑の実で起こしてみたら結構うまくいって」
と、俊子さん。毎夏、桑の実を採って酵母の液種を作り、粉に混ぜ、1年間大事に掛け継ぎながら使っています。粉、水、塩、副材料のドライフルーツなど素材にはすべて地のものか、できるだけ近くのものを使用。ライ麦は、近隣の畑を借りて、仲間と一緒に栽培しているそうです。
元気が出る焼き菓子「ふすまクッキー」
ソノマノの隠れた人気メニューが、ふすまクッキー。ふすまとは、小麦の製粉工程で取り除かれる小麦の皮の部分。昔は家畜の飼料などに使われていたそうですが、食物繊維、鉄分、亜鉛などミネラルが豊富で栄養価が高いと言います。
「どうしてもパンを作る過程で余っちゃうから製品にならないかなと思っていて、エネルギーをチャージできたり、非常食的にそれを持っていると安心で、元気が出るようなものを作りたかったんです」
という俊子さんの想いから、当初、パンを買ってくれた人へのおまけとして、余裕がある時に作り始めたふすまクッキー。そのうちに皆が食べたいといい始め、商品として委託店舗などでも販売するようになりました。噛むほどに小麦の香りとほのかな甘味が感じられるクッキーは、2、3枚食べるとしっかりお腹が膨らみます。
被災を経て、“地域の社交場”へ。
ソノマノは、数年前まで店舗を持たず、移動販売や委託販売で営業していました。しかし、2015年11月に起きた長野県神城断層地震で鬼無里地区は震度6弱の揺れを観測。築90年の古民家を改装した竹内さんの自宅兼パン工房も土壁が崩れるなど大きな被害がありました。
工房の補修費用などで頭を悩ませている時に、友人から中山間地域での事業を支援する市の補助金があることを聞いた竹内さん。“これを機にステップアップできればいいかな”と、補助金を使って工房とお店を改築。新たにスタッフを雇って、焼き菓子製造に力を入れ、週2日営業のカフェ&ショップをオープンしました。
「町からのお客さんが情報を聞きつけて遊びに来てくれたり、地域のおばちゃんたちが集まって女子会をしたり。この辺はお店が少ないし、町に飲みに行くと言っても送迎などが大変なので、前菜やピザを出して、お酒は持ち込みの会合にも使ってもらったりしています。地域の社交場のようになればいいかなと思います」
ソノマノのパンは、気さくで飾らず、“素のまま”の竹内さん夫婦の人柄を焼き込んだような素朴な味。温かく居心地のいいカフェも素敵でした。
国産小麦と自家製酵母ぱん 耕紡工房
ところ変わって、南信州へ。“日本一の星の村”として知られる阿智村(あちむら)の標高1000mの山間にある耕紡工房(こうぼうこうぼう)を訪ねました。
食の安全を求めて
耕紡工房は、二川泰明さん・文香さん夫婦が営むパン屋さん。長野県産の小麦と自家製酵母を使って、安心・安全で体にやさしいパンを作っています。
二川さん夫婦もまた、東京からの移住組。2011年の東日本大震災を機に、パン作りを始めたと言います。
「あの時、多摩ニュータウンに住んでいたんですが、スーパーから物がなくなり、水も安心して飲めないような状況になって、子供を育てながら暮らしていく不安を強く感じました。以来、食の安全に興味を持つようになって、パン作りをやっているママ友に教わって、自家製酵母のパン作りを始めたんです」(文香さん)
その後、文香さんの母方の実家がある長野県への移住を検討し、偶然の縁も手伝って阿智村にたどり着きました。その一番の決め手となったのは、“水”でした。
水がおいしいから、パンもおいしい。
阿智村には、信州の名水・秘水100選にも選ばれている名水「一番清水」が湧いています。
硬度13度という超軟水で、出汁の旨みやお茶のおいしさを引き出す水として、昔から人々に重宝され、休日には水汲みの人で行列することもあるそうです。二川さんは、友人に連れて来てもらって初めてこの水を飲んだ時、衝撃だったといいます。
「東京では水道の水が飲めなくて、わざわざ買ったりしていたけれど、ここに来れば安全でおいしい水があり余るほど湧いている、それが一番大きかったですね」
美しい水は、東京時代から引き継いだオーガニックレーズンの酵母との相性もばっちり。安心で安全な素材を使い、溶岩窯で焼いた耕紡工房のパンは、ふっくらとして香り高く、やさしい味わい。食事パンのほかに、自家製小豆をたっぷりと挟んだあんバタサンドなどの菓子パンも人気で、子どものおやつとしても喜ばれています。
パンの新しい楽しみ方
日々パン作りに励む一方で、二川さんは、2年前に会社を立ち上げ、阿智村のキャンプ場「ふるさと自然園せいなの森キャンプ場」の運営を担っています。キャンプ場の食材メニューの一つとして、「おまかせパンセット」を販売したところ、予想以上の人気で、繁忙期には休む間もなくパンを焼いているそうです。
天然酵母のパンは、焼き立てにピークをむかえる工業用イーストとは異なり、焼きあがってからも酵母が生き続け、熟成していくため、時間経過とともにパンの味わいが増します。
「キャンプの時には、ダッチオーブンで温めたり、ちょっと蒸してから食べるのおもおすすめです」という文香さん。
耕紡工房のインスタグラムでは、キャンプ仕様に季節の野菜や果物などと合わせた写真をアップし、そのおいしい食べ方を発信しています。
地域の豊かな自然の魅力を伝えたいと願う2人の情熱を伺い、ぜひ阿智村の青空の下で耕紡工房のパンを食べてみたいと思いました。
信州の自然に魅せられ、その土地の風土に根ざしたパン作りに勤しむ作り手たちと出会った今回の旅。いずれも、地産地消で安心安全なパンを作りたいという熱意と、地域への想いの深さが印象的でした。
旅先でパン屋さんに足を運び、素材を通してその作り手の想いに触れる。そんな旅もいいものです。